
スメンデス1世は第20王朝時代に王宮がおかれたペル・ラムセス(ラムセス市)を始めとした各地の古い建造物を解体し、その建材を使って新たな首都タニスを大改修して首都に相応しい都市に作り変えた。こうして根拠地を安定させた彼は、上エジプトのアメン大司祭国家に対しても権威を主張し、限定的ながらこれを認めさせることに成功した。このことは彼がテーベのカルナック神殿で建築活動を行っていることなどから確認される。 スメンデス1世死後、王位を継承したのはかつてのアメン大司祭ヘリホルの息子アメンエムニスウであった。彼の即位を巡っては激しい角逐があり、即位に反対した多くの人物がリビアへと追放された。アメンエムネストの治世は短く、次いでプスセンネス1世が即位した。彼もアメン大司祭パネジェム1世の息子であり、母は第20王朝のラムセス11世の娘であった。プスセンネス1世の時代にはかつてアメンエムニスウ即位に反対して追放された人々の帰国が許可され、タニス政府とアメン神殿の間で関係改善が図られた。プスセンネス1世の娘イシスエムケブと、アメン大司祭メンケペルラーの間では婚姻が成立し、こうした濃密な血縁関係によって南北の王家の間に協力関係が構築された。このことはタニスで旧来崇拝されていたステク[3](セト)神や、アジア起源のアスタルテ女神に変わってテーベの神であるアメン神、ムト神、コンス神の神殿が建てられたことなどからも証明される。 プスセンネス1世の長い治世の後、王子アメンエムオペトが、次いで大オソルコンと呼ばれた王が即位したものの、彼らの治世に関する具体的な記録はほとんど無い。その後即位したサアメン王はパレスチナ地方の動乱に介入したかもしれない。旧約聖書サムエル記に登場する「エジプト人」、或いは列王記に登場し、カナン人の都市ゲゼルを攻略し、持参財としてソロモンの妃となったエジプト王女に与えたという王はサアメンにあたると言われている[4]。サアメンの王名が各地の記念碑文などに残されており、彼は比較的強力な王であったといわれている。 最後の王プスセンネス2世の治世についてもやはり詳細はわかっていない。彼は娘を傭兵としてエジプトのブバスティスに定住していたリビア人の有力者シェションクと結婚させた。この婚姻を軸にシェションクは軍司令官として勢力を拡張し、やがてはその血縁をもってエジプトの王位を主張、第22王朝を開き、第21王朝の勢力を継承した。 (引用:Wikipedia)